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NHKが大変です。 しないつぐみ さん 1999年12月16日(木) 18時45分
[Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)]
今夜0:10より、
「ドキュメント・ノモンハン事件」(再)・総合
18日23:30より、
NHKスペシャル選「戦争を記録した男たち・ファインダーの中のベトナム戦争」
続いて0:50より
「ヒトラーと6人の側近たち(デーニッツとシュペーア)」(共に教育)
更に19日深夜1:00から12夜連続(!!)で、
BSドキュメンタリー「冷戦」の再放送(BS1)、
かてて加えて翌20日21:30より総合で
「映像の世紀」の11夜連続再放送がかかっております。

いくらなんでも飛ばしすぎーっ!!いや、嬉しいんですが(^^;

  • おかちん さん HomePage 投稿日:1999年12月16日(木) 20時20分
    [Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)]  
    どひゃー!こりゃたまらんですねえ。ビデオ修理中なのが痛すぎ(ToT)
    どうせ貯まっちゃうと見ないから,早めに帰宅して出来るだけ生で見る
    ようにします。「戦争を記録した男たち」は見落としているんで,
    必見ですね。
    情報ありがとうございますー。わーい(^o^)

  • おおお おきかずひこ さん HomePage 投稿日:1999年12月16日(木) 22時08分
    [Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows 95)]  
    ビデオ準備よーし

  • しないつぐみ さん 投稿日:1999年12月16日(木) 22時27分
    [Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)]  
    >録画
    実は私も23日からコミケ+帰省なので、どれだけフォローできるか・・・(><)。
    実家に頼もうにも、TVが調子悪いらしいし・・・。むう。

  • わー おきかずひこ さん HomePage 投稿日:1999年12月16日(木) 23時04分
    [Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows 95)]  
    とかいってたらビデオ故障〜
    よりによって取り出し口のフタが開かん。
    まあ入れる方はいいのだが・・・
    前に修理出してから1ヶ月も経ってないぞ。
    もう三菱は買わん!
    もう一台のビクターは15年動いているのに。

  • あいば さん 投稿日:1999年12月17日(金) 13時00分
    [Mozilla/4.6 [ja] (Win95; I)]  
    リアルタイムで見ちゃいました、ノモンハン。
    あやうくその後のロボコン北海道大会まで
    見そうになっちゃいましたが…。

    おかげで今日は眠い眠い。
    まだまだ眠れぬ夜が続きそうだし。

    でも、火炎瓶攻撃が一度でも大成果を挙げたことがあったなんてオドロキ。


  • おかちん さん HomePage 投稿日:1999年12月17日(金) 13時40分
    [Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)]  
    ノモンハン,ラスト10分だけ見られました。これでも普段より早く
    帰ったというのに。そのあと怒濤のロボコン大会へ。
    風邪が悪化しました(^^; 今日は早く寝よう。

    >おきさん
     ビデオ壊れましたか。お互い,大変ですねえ。
     ビクターはよいですか。次回の参考にさせていただきます。

  • 松浦 さん 投稿日:1999年12月17日(金) 19時11分
    [Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC; Nav)]  
    ノモンハン
     帰宅したらちょうどやっていました。

     あれだけ取材して、やはりNHK的な詰めの甘さがあるなあというのが印象。ノモンハン前後の辻正信の語録など、つなげて行くだけで「人間としてやってはいけないこと大全」になるってのに、辻の悪行には間接的にしか触れていない(そういう奴をまた戦後国会議員に当選させた日本国民ってのは全く…)。戦記的には基本的に知っていることがほとんどだったけど、後から投入されたディーゼルエンジンの戦車って T-26でしたっけ。でもってガソリンエンジンってのがBTでいいのかな。ここらへんは不勉強な私です。

     戦車に押し込まれて鍵をかけられたソ連軍兵士は果たしてロシア人か(というか人種が違えばこそジューコフの残酷な処置も納得できるわけで)。確かクリミアタタールなどの少数民族が根こそぎ軍隊に取られていたはず。私はノモンハンというのは人種的には代理戦争の様相ではなかったか、と邪推しているのですが、あまりその疑問は解消されませんでした。

     ただ、満州国陸軍の司令官がモンゴル人だったということ、ノモンハン前後のモンゴルの国内情勢が分かったことは収穫でした。モンゴルが「ハルハ河戦争」と呼ぶのは切ないですね。
     ちなみに確かロシア公文書では「ハルハ河会戦」、日本側書類では「ノモンハン事件ないしノモンハン事変」。だいたいどの程度の認識だったか、よく分かる。司馬遼太郎がさんざん取材して、なおかつどうしても気分が滅入ってついに書けなかったというのも。でも「坂の上の雲」で日本人をさんざんつけあがらせた司馬としては、絶対書くべきだった。「逃げちゃだめだ。逃げちゃ…」

     しかしロシアの公文書が読めるとは。ロシア語勉強したいなあ。ジューコフの直筆で「死刑!」どひーっ(がきデカどころの話じゃない)。それから「戦陣訓」には東条英機の署名が入っているのね。東京裁判でどうふるまったにせよ、やはり彼は許せんなあ。東条には他にも陰険な話がいっぱいあって…まあここで触れる話ではないですが、私は英雄扱いには反対。

     にもかかわらず私の中のミーハーな部分は「あ、イー16だ。97戦だ!」と歓声を上げていたのでした。やれやれ。

     一つ疑問、石原完爾創設の陸軍唯一の機甲師団「124師団」はこの時なにをしていたのでしょう。石原が創設したというだけでさんざん東条に疎まれて、戦争中突撃の前衛はいつも124という惨状だったけれども、結果として持久自滅戦を免れて死亡率30%で7割は戦後帰国できたというとんでもない師団ですが(当時水陸両用装甲車まで持っていたんだよ)。
     調べれば分かる話なのですが、どなたか知っておられたら教えて下さい。

    松浦


  • おかちん さん HomePage 投稿日:1999年12月17日(金) 22時27分
    [Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)]  
    うお,戦車も出てたんですか。くそう,見たかった。

    日本陸軍資料館(ここを押して)に情報がありました。
    124師団は第5軍に編成されていて,ハルビンに配置されていたのは
    第4軍だそうです(ここを押して)。

    光人社NF文庫の「激闘戦車戦」(土門周平・入江忠国著)を本日読了。
    今,頭の中が戦車でいっぱいなのです。陸軍戦車病が発病中。
    うおお,一式砲戦車〜(@o@)〜

  • あいば さん 投稿日:1999年12月17日(金) 22時52分
    [Mozilla/4.6 [ja] (Win95; I)]  
    ノモンハン
     帰宅したらちょうどやっていました。

     あれだけ取材して、やはりNHK的な詰めの甘さがあるなあというのが印象。ノモンハン前後の辻正信の語録など、つなげて行くだけで「人間としてやってはいけないこと大全」になるってのに、辻の悪行には間接的にしか触れていない(そういう奴をまた戦後国会議員に当選させた日本国民ってのは全く…)。戦記的には基本的に知っていることがほとんどだったけど、後から投入されたディーゼルエンジンの戦車って T-26でしたっけ。でもってガソリンエンジンってのがBTでいいのかな。ここらへんは不勉強な私です。

     戦車に押し込まれて鍵をかけられたソ連軍兵士は果たしてロシア人か(というか人種が違えばこそジューコフの残酷な処置も納得できるわけで)。確かクリミアタタールなどの少数民族が根こそぎ軍隊に取られていたはず。私はノモンハンというのは人種的には代理戦争の様相ではなかったか、と邪推しているのですが、あまりその疑問は解消されませんでした。

     ただ、満州国陸軍の司令官がモンゴル人だったということ、ノモンハン前後のモンゴルの国内情勢が分かったことは収穫でした。モンゴルが「ハルハ河戦争」と呼ぶのは切ないですね。
     ちなみに確かロシア公文書では「ハルハ河会戦」、日本側書類では「ノモンハン事件ないしノモンハン事変」。だいたいどの程度の認識だったか、よく分かる。司馬遼太郎がさんざん取材して、なおかつどうしても気分が滅入ってついに書けなかったというのも。でも「坂の上の雲」で日本人をさんざんつけあがらせた司馬としては、絶対書くべきだった。「逃げちゃだめだ。逃げちゃ…」

     しかしロシアの公文書が読めるとは。ロシア語勉強したいなあ。ジューコフの直筆で「死刑!」どひーっ(がきデカどころの話じゃない)。それから「戦陣訓」には東条英機の署名が入っているのね。東京裁判でどうふるまったにせよ、やはり彼は許せんなあ。東条には他にも陰険な話がいっぱいあって…まあここで触れる話ではないですが、私は英雄扱いには反対。

     にもかかわらず私の中のミーハーな部分は「あ、イー16だ。97戦だ!」と歓声を上げていたのでした。やれやれ。

     一つ疑問、石原完爾創設の陸軍唯一の機甲師団「124師団」はこの時なにをしていたのでしょう。石原が創設したというだけでさんざん東条に疎まれて、戦争中突撃の前衛はいつも124という惨状だったけれども、結果として持久自滅戦を免れて死亡率30%で7割は戦後帰国できたというとんでもない師団ですが(当時水陸両用装甲車まで持っていたんだよ)。
     調べれば分かる話なのですが、どなたか知っておられたら教えて下さい。

    松浦


  • おかちん さん HomePage 投稿日:1999年12月20日(月) 19時10分
    [Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98; DigExt)]  
    土曜日の放送は,年賀状に追われて,ビデオ録画となりました。
    まあ,2,3回見たいので良いかな,と(^^)
    映像の世紀,今夜からですね。また,カミさんの実家に頼まねば。

  • 松浦 さん 投稿日:1999年12月20日(月) 22時16分
    [Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC; Nav)]  
    >>特に辻参謀のような場合、彼の関係者からいらん横やりを受ける恐れから
    >>鮮明にしにくい部分もあったのではと想像してみたり。
     固有名詞出しちゃうと、当時の関係者で今も生きて実権を持っている(あるいは本人は持っているつもり、むしろ回りで利用しているほうが多い)のは瀬島龍三伊藤忠顧問だけのはず。その1人を、せめてNHKはクリアして欲しかった。視聴料払っているんだから。

    >>アジア系ソ連兵
     そうだろうなあ。やっぱり。他に考えようがないものなあ。モンゴル帝国は残酷だという定説がありますが、あれは国を滅ぼされたところが恨みを持って誇張した文書が残ったため、ということなんだそうです。むしろモンゴル民族は誰が住んでいようが何をしようが無頓着で、ただ、自分たちはのろしをつかった高速通信システムを持ち、交通に課税しただけだったなんだそうで(だからこそ逆説的に「漢民族を殺して中原を牧場にしよう」などという発想も出てくる)。
     そんな環境の中、通商と牧畜で生きてきたシルクロードの民が20世紀に巻き込まれた惨禍の1つだったんですね。ノモンハンは。

     大きく見るとスターリンというアッチラ級の残酷な支配者の起こした悲劇だったのかも知れない。

     いや、対日参戦したソ連兵がなぜ日本の民間人にああも悪逆な仕打ちをしたかを考えていくと他に可能性がないんですよ。さんざんスターリンにひどい目に遭わされ、欧州戦線で「退却は死だ」と戦わされ、ナチとの戦闘が終わった、やっと家族の元へ帰れると思った途端に超広軌のシベリア鉄道で一気にソ満国境送りで、8月9日になると「お前らまた戦え」――そりゃ荒れるよ、と思うのです。

     スターリンは、社会主義独裁で考えるよりもアッチラ大王の直系として中央アジアの文化からとらえたほうが理解できますね。毛沢東も、社会主義指導者というよりも、「天より命を受けた受命皇帝」と考えないと理解できない(特に、中国的インテリの最良の典型である周恩来が毛沢東の怒りを受けて失禁したなどというエピソードは毛沢東が皇帝だと考えないと理解不可能)。

    >>インパール
     ナイショですよ。会社で出来の悪い上司に「牟田口」とコードネームを付けていたことは。ちなみに彼と飲みに行くことは「ジンギスカン作戦」などと言われていたり(いや、今の上司ではありませぬ)。

    >>北欧や中央アジアにいかにして勢力を広げていったか、そ
    >>していかにして独逸と戦い、技術者や美術品を持ち去ったか、
    >>な〜んてことが書いてある公文書もあるでしょうね、きっと。
     うう、読みたい。そういう話を一次資料で読みたい!!

     中曽根康弘首相(当時)がフィンランドのことを「ソ連の属国」と発言してひんしゅくをかったことがありますが、梅本弘さん他の著作のおかげで、今はそんな発言をする政治家はいないでしょう(そう信じたい)。
     ちなみにマンネルハイム(ソ・フィン戦時のフィンランド大統領)は、日露戦争でロシア側騎兵として参戦しております。当時のフィンランドはロシア領で、能力のある若者が栄達するにはロシア軍に志願するしかなかったのですね。

     今日から「映像の世紀」か。近代戦の原点はボーア戦争にあるそうですが、これまた私は不案内。第一次世界大戦はまあまあ押さえているつもりだけれども、でも地図で「ヴェルダンってどこ?」と言われたら困ってしまうだろうな(シュリーフェン・プランの挫折ね)。
     ヴェルダンでがんばり抜いて救国の英雄となったペタンが後にナチスの傀儡首班となり、ニュルンベルグ(だったか、フランス国内だったかも)では「俺は間違ったことはしていない」と胸を張り、獄死する――何かとりとめがなくなってきましたけれども、ああ、私も勉強不足。

    >>シュペーア
     これも見ました。有能なるドイツの戦闘貴族の系譜は(19世紀の戦闘では人はあまり死なない。だから戦闘専門の貴族が世襲で分化した)、まんま画家崩れのミュンヘンの元伍長に利用されて、すりつぶされ、食いつぶされてしまう。
     シュペーアは、ニュルンベルクでただ一人戦争責任を認めて20年間服役し、1981年に死んだのですね。
     思い出したのは井上成美。戦後一切の公職に就かず英語塾の先生で死んだ海軍軍人。良識派と言われているけれども、重慶爆撃で無差別戦略爆撃に先鞭をつけたのも井上でした。

    ああ、なんか切ない話ばかりだ。
     

    松浦

  • うわあ おきかず さん HomePage 投稿日:1999年12月21日(火) 00時23分
    [Mozilla/2.0 (compatible; MSIE 3.01; Windows 95)]  
    みなさん語る語る・・・
    わたしも語りたいですが、勉強不足時間不足。
    ハルハ河戦には興味があるんですよね。我がクーペのデザイナー、小杉二郎は当時牡丹江から公主嶺の幹部候補生学校にいましたからね。多分戦車第3連隊。
    航空戦のみであればノモンハンは勝ち戦でないにしても負けではなかったわけですが、ジベタでは後のインパールにつながる過ちの一端が芽を出していたといえましょう。

    >NHK
    こうしたドキュメンタリーの役割は、なんといっても映像資料価値でしょう。ただ、先日もよそのチャットで話していたのですが、ただ残酷な映像だけでは見る人に真実や本質は伝わらない、ある程度の背景の解説は必要であるということです。時間当たり、工数あたりの情報量は書籍に遥か及ばない映像メディアですが、とっつきがよく、なにより主観の入らない(まあ加工写真とかはありますが)ところがよいところ。
    要は、それを見て興味がわけば、本を読めばいいのです。

    それとは別に、飛行機ファンや自動車ファンには、現場の動くノリモノを見られるのはたまりませんね。
    「あっ、おっさんがゴリアットの三輪トラック(FF)を押している! 案外小さいなあ」
    なんてね。

    映像の世紀を見て、リュミエール兄弟LDボックス買わなかったのを後悔している沖でした。
    ああ、やっぱり長い・・・

  • 松浦 さん 投稿日:1999年12月22日(水) 16時03分
    [Mozilla/4.04 [ja] (Macintosh; I; PPC; Nav)]  
     「映像の世紀」第2回「大量虐殺の始まり」を見て、「をを、動いているA7Vだあ」という自分と、あまりに悲惨な野戦病院の映像との間で引き裂かれてしまいました。
     そうか、「これで人類は自殺する権利を得た」と最初に言ったのは広島の原爆投下を聞いた哲学者のアーサー・ケストラーだったと記憶していたが、チャーチルは第一次世界大戦で似た感慨を得ていたのか(彼はガリポリで大失敗して大戦間は泣かず飛ばすの雌伏を強いられましたからねえ)。しかも、似たような嘆きをヒトラーも「我が闘争」で書いていたとは。でも結論は逆。

     まあ、第二次世界大戦後にバリバリの反戦カンタータ「ワルシャワの生き残り」を書いたシェーンベルクも第一次世界大戦では軍歌「鉄の旅団」なんてのを書いているし(しかも確か志願兵で参戦してる)、モーリス・ラヴェルも志願兵で行かなくてもいい戦場に行って負傷して、その傷が後に音楽家としての致命傷になっちまうんだから何というか。
     戦争の絶望の中、ドビュッシーは「私は耳の楽しみとしての音楽を書く」と宣言して作風を変え、古典的な面もちの端正な6曲のソナタを構想したが3曲目の「バイオリンソナタ」を仕上げたところで死去(ちなみに4番目は「オーボエ・ハープ、クラブサンのためのソナタ」になるはずだったとか。是非とも聴きたかった)。

     思い起こすのはベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」最終楽章。詩は第一次世界大戦で戦死した詩人のオーデン。
     戦場から逃れた「私」は暗い洞窟に迷い込む。そこに幽霊が現れ親しげに語りかける。
    「私は君が殺した敵なのだ。我が友よ」(I am the enemy you killed, my friend)
     ええと、以下記憶に頼って書きますが、続いての歌詞は
    「私は逃げようとした。しかし私の手も足も冷えていた」

     そして音楽は最後の合唱
    「Let us sleep now」(今や我らを眠らせたまえ)
    になだれ込むのでした。

     ただ、衝撃的な映像とは別に、戦況の経時的変化は、書籍そのほかで押さえておかなくてはなりませんね。

    おまけ:凱旋門をスパッドだかキャメルだかでくぐる有名な映像が出てきましたが、あれ、パイロットは誰でしたっけ。確か名前が残っているはずだけども。

    松浦